人生を変える、本氣の「オーストラリア留学」
横地香織さん

「今が一番いい、と思える人生」

「永住権を取得」

横地さんは、野生生物管理学で学士号を取得後、オーストラリアの永住権も取得した。「オーストラリアでは必要な人材が足らない分野で学士号を取得した人は永住権を申請できるんですが、2年前に移民法が変わって私の学部でも申請ができるようになったんです。運良く私はそれをとることができました。」

永住権をとったことにより、現在学ぶ博士号課程の授業料は全額免除、プラス2万5千ドル(約200万円)の奨学金ももらい、さらにアルバイトもしているので、生活費には苦労していない。「今年か来年からは、学部課程の授業も教えることになると思うのですが、その場合も1時間約50ドルのお給料がもらえるので、これもまたオイシイ(笑)。」と朗らかに語る横地さんは、学部課程ではワラビーの研究をし、現在はポッサムの研究をしている。卒業後は有袋類動物の研究者になるという。

ウェスタンオーストラリア大学(以下 UWA)の野生生物学科では、学年が進むにつれて、クラスサイズも小さくなる。「3年生、4年生の時には、一クラス5人の授業も珍しくありませんでした。授業時間数もすくなるんですが、反対に課題の量が多くなってくるんです。」

リサーチペーパーやレポートの量も半端ではない。研究レポートやケーススタディは、2,3週間に最低1つは提出しなければならないし、1週間に一つずつ提出というときもざらにあるという。
「500~1000wordsのものから始まって、5000~10000words(約30~50ページ)のものまで、特に期末試験前の課題が重なる時期は大変でした。」

UWAではレクチャーの際に、あえて出席を取らないという。「レクチャーに出るも出ないも自分の責任。でも出ないと絶対についていけない(笑)。」


「なんと言われようと、行くのはいく!」

高校時代は「好きなことだけ勉強していた」という横地さん。生物と英語以外は、まったくもって成績不良だったという。「NICに行きたい、って思ったのは高校2年生の終わりです。もともと獣医学部を希望していて、鹿児島大学の先生に相談したら、大学を卒業しても野生生物の方面に進む人はいなくて、よくて空港の検疫官、あとは普通に獣医になると聞いて。。。合格するだけの成績もなかったんですが、それをきっかけに、NICを受験することに決めたんです。」

親御さんや高校の先生には反対された。
「なんと言われようと、行くのはいく!(笑)」 結局その年、筑紫女学園からは3人がNICに入学した。

NICでは最上級のHAクラスからスタート、最初のころは徹夜ばかりだったという。
「途中からやっと慣れてきたのですが、その大変だったことが今でも大きな支えになっていて、そのときのクラスメイトにも、日本に帰ってきたら必ず会っています。」

オーストラリアの大学に進学するにあたって、トップ大学に進学する場合は、日本の高卒資格は認められていないため、ファウンデーションコースの履修が義務付けられている。
「ファンデーションといっても、クラスメイトはシンガポールやマレーシア、香港、アメリカ、ザンビアなどで小さいときから英語で教育を受けてきた人ばかり。彼らのアクセントや会話のスピードについていくのは、最初は本当に大変でした。」

NICとしても、この年がAUP(オーストラリア大学進学課程)の1年目。周りに日本人は誰もおらず、知り合いもいなかった。「毎日、日本に電話して母親に愚痴をこぼしていました(笑)。」 途中から完全に開き直った。「間違ってもいい、って思って。そこからは何でもうまくいくようになって、だんだん楽しくなっていったんです。」

「ピンチはチャンス」

苦労の甲斐あって、ファンデーションでは、High Distinction(HD)という最優秀成績で卒業。その後の大学でも、同じくHDで卒業した。

「2年生の時には、Biochemistry(生化学)とAnimal Science(畜産学)の二つのクラスで学年1位を取りました。200ドルの商品券と、表彰式&ディナーパーティへの招待券が奨学金の代わりでしたが(笑)、そのときは本当にうれしかったのを覚えています。」

横地さんは、実は学部課程の卒業前にも大きな壁にぶつかっていた。
「ずっと1年かけて卒論を書いてきたのに、提出期限の2ヶ月前になって、自分がやっていたリサーチの致命的ミスを発見したんです。」 当然、リサーチを一からやり直す羽目になる。 「どうしていいかわからなくなって。。。でも母親の一言『ピンチはチャンス』という言葉に救われた。」という横地さん、最終的には、Honours付きで学年トップの成績で卒業した。

他人がどうこう言おうが関係ない。

好きなことが見つからないという日本の高校生は多い。もちろん大人でも。
「よく『高校時代に戻りたい』とか『いついつに戻りたい』っていう人がいますが、私はこの5年間ずっと『今が一番いい』と思ってきました。とにかく、いろいろなところに行って、いろいろなことを実際やってみないと自分が何が好きなのかはわからないと思います。他人がどうこう言っても、偏差値がどうだと言っても、So What(だから何)?自分の人生には関係ない。自分のやりたいことをやっていれば成績や成果はあとからついてくると思うし、好きなことは苦にならない。それは私の実体験です。」

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濱田紫乃さん

「Mottainai」

「イルカがいるキャンパス」

ウェスタンオーストラリア大学(以下UWA)のキャンパスの後ろ側には、インド洋につながる「SWAN RIVER(白鳥の川)」が流れている。時折野生のイルカも見られるというこの場所で濱田さんは学年でたった2人しかいない日本人学生の一人として(もう1名もNIC生)、野生生物について学んでいる。

「勉強で疲れたときでも、ここに来るとストレスもいっぺんに吹き飛んで、癒されます(笑)。」

UWAの野生生物管理学科では、実習がたくさん行われる。
「講義は一クラス30~70人なのですが、研究室での実習やフィールドワークでは、3~4人のグループで学びます。このグループでの実習が成績を取る上でも大きなウェイトを占めていて、場合によっては成績の50%近くがこの実習の成果によって決まります。」

実習では、答えを見つけるというよりも、勉学を通じて社会に貢献すること、そして、問題解決能力を身に付けることが重視されている。「パースにはWheat Beltという小麦地帯があって、そこで雑草の駆除をしたり、また、Conservation Biologyの授業ではSpider(蜘蛛)の保護について、4人で10,000Wordsのレポートを提出しました。」

学年が進むにつれて、実習はもっと増えてくる。「最近ではパースからフェリーで40分ほどいったところにあるRottenest Islandで Geographical Information System(GIS:地理情報システム)のプロジェクトをやったり、国連のWWFで働いている人にインタビューをしたり、動物園に行って、職員の人たちの仕事を見学したりもしました。」

卒業後はオーストラリアで大学院に進むか就職をしたいという濱田さんは、高校2年生の冬までは多くの高校生と同じように、日本の大学に進学するつもりだった。
「小学校から環境や動物について勉強したいと思っていたのですが、残念ながら日本の大学では野生生物学というのはなかったんです。悩みながらも予備校の冬期講習に参加したんですが、やっぱりピンとこなくて。。。そのときたまたまインターネットでNICを見つけて「ここだ!」って、思ったんです。」両親も高校の先生も応援してくれた。

NICの思い出は「たくさんの課題」

NICでは最上級クラスのHAから始まった。 「一番ためになったのはWritingの授業です。ここではレポートを提出する前にPeer Editing(学生同士で見直しをする)をするのですが、オーストラリア人学生の書いた文章もよく直してあげています(笑)。文法もNICでしっかりやっていたので、オーストラリアに来てからもレポートを書く上で苦労はなかったです。」

「NICの思い出は『たくさんの課題』(笑)。2学期からはアカデミックのクラスに上がれたのですが、HAでのハードな体験が今では一番楽しかったと思います。クラスメイトにも本当に恵まれて、HAのクラスメイトとのグループディスカッションは本当に楽しかったです。」

高校2年生の時、ブリズベンで2週間のホームステイを体験し、NIC入学後もオーストラリアの大学を希望した。「NIC生の多くはアメリカの大学に行くので、違うところに行きたかったんです(笑)」

親からの仕送りはナシ

勉強以外では、日本食レストランで週20時間アルバイトをしている。
「2箇所でアルバイトをしているのですが、ひとつが時給15ドル(約1100円)で、もうひとつが18ドル(約1400円)。家賃も生活費も全部自分でまかなっています。親からの仕送りは一切もらっていません。」

また、Japanese Studies Societyという日本語や日本の文化に興味をもっているオーストラリア人のサークルにも参加している。「日本語を教えたり、日本の文化について話したり。

オーストラリア人は日本語専攻の学生でなくても、小中高で第二外国語で日本語を取る人が多くて、みんな日本語も上手(笑)。」
River Cruiseを借り切ってパーティをしたり、日本の文化に関するクイズ大会を開いたり、カラオケ大会を開いたり、日豪交流にも貢献している。

Mottainai

去年、日本に一時帰国したとき、日本の「暗さ」を実感したという濱田さん。「親や友達に会いたくて帰ってきたんですが、成田空港についた瞬間、オーストラリアに戻りたくなった(笑)」という濱田さんに高校生の皆さんへメッセージをおねがいしてみた。
「やりたいという気持ちがあるのに、簡単にあきらめるのは、もったいない。英語ができないなら今からがんばればいい。私も高1の時に始めた英会話のレベルは一番下だったけれど、自分になりにがんばりました。オーストラリアに来てからも、高校まで、嫌いでいつも点数が悪かった化学を、当然こっちでは必修でやらなきゃいけなくて、そして意地で頑張ったらクラスで一番取って、しかも専攻変えようか悩んだくらい化学大好きになりました(笑)。」

やる前からあきらめるのは本当にもったいない。
「オーストラリアに来てより一層感じるのですが、成績だけじゃなく、『どれだけがんばったか、そこから何を得られたか』が大事だと思います。私は今勉強とバイト、クラブをやって寝る時間も少ないときもありますし、深夜までアルバイトをして、朝一番から授業の時もありますが、成績だけが目的じゃないからがんばれているのだと思います。」

Mottainaiのは、資源だけではないのである。

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川口由佳子さん

「笑う門に福来る」

実践第一の教育学部

オーストラリア第二の都市メルボルンから電車で約1時間、フランクストンにキャンパスをもつモナシュ大学教育学部。川口さんが学ぶ初等教育学科では保育園から小学校6年生まで教える資格が取得できる。「とにかく実践重視。入学して最初の学期の初日から小学校の現場に行かされました(笑)。」

モナシュ大学では、1年目から毎学期20日間(約4週間)の実習が義務付けられている。「最初の学期は小学校でObservation、次の学期が幼稚園で実習。そして今学期は、小学校でレッスンプランを全部自分で考えて、一クラスを完全に受け持っています。」

「今学期は、レクチャーは週にたった9時間しかないんです。でもAssignment(課題)の量が半端ない。特にリーディングが多いのですが。。。」

1年目は、算数や英語、コンピュータ、芸術、音楽、体育など一通りの教科の教育法を学びながら実習を行ったという。「オーストラリアは多民族国家で、アフリカや中東などからの移民、そして英語を話せない子供達や、養子制度など、日本とは違って、さまざまな家庭環境、多文化環境から来ている子供達をどうやって育てるのか、ということに力を入れているんです。」

教育学に興味を持ったのは中学の時。職業体験で幼稚園に行った。 「高3になっても英語と教育どっちを勉強したいか決められなくて。。。」その時同じ学校にNIC入学を決めている友達がいた。「私もやりたいっ!って。どうせなら英語で教育を勉強しようということで、NIC受験を決めました。」

「高校はあまり好きではなかった。」という川口さん。ソフトテニス部に命をかけ、勉強では自称「普通の人」だったというが、NIC入学後は、勉強しながら、そば屋でアルバイトをし、さらに成績優秀者としてチューターにも選抜され、下のレベルの学生の、勉強のサポートもした。「HAスタートで、周りは優秀な人ばかり。でも『負けたくない!』って思いで、まずは自分のやれることからやろうと思いました。」結果としてアカデミック進級後も、一つだけB、それ以外はすべてAの成績をとった。

生活費は全部自分で。

ファンデーション進学後も苦労は続いたが、最終的には平均85%以上の成績をキープ。Geography(地理学)では、96%の成績をとって学年1位だった。「Economics(経済学)の期末試験なんて、みただけで腰が抜けました。だってたった3時間のテストなのに、Multiple Choice(三者択一)の問題が30問、1ページのエッセイを書くショートアンサーが5つ、3ページのエッセイを書く問題が2つもあったんですよ!」

モナシュ大学進学後は、アルバイトもはじめた。日本食レストランで週20時間、時給10ドル(約800円)で働いている。親からの仕送りはほぼ使っていない。「今はマレーシア人の女の子、香港人の女の子と3人でシェアして、家賃は月約360ドル(約2万5千円)。」 食費も週20~30ドルしかかからないので、残ったお金は全部旅行資金として貯金しているという。

「オーストラリアに来て、シドニー、パース、タスマニアなどいろいろなところに行きました。西海岸を車で縦断したりもしました。12月には友人の母国マレーシア、シンガポール、香港にいく予定なので、今がんばって貯金しています(笑)。」

「笑う門には福来る」

今年の正月は実家に帰った。でも何かしっくりこない。「ニュースも暗いニュースばかりで見ていて疲れました。空気もなんだか重くて。。。」

反対に家族がオーストラリアに遊びにきたとき、「念のためと頭痛薬を持って来ていた母親が、オーストラリアにいる間は一度も薬を飲まなかったんです(笑)。」ちなみに母親の職業は薬剤師。まさにストレスフリーの環境だったのだろう。

「とにかく楽しむこと」が大切だという川口さん。「こっちのおじいちゃん、おばあちゃんはいつもニコニコしていてとっても輝いて見えます。別に海外旅行にいくとか、豪華なレストランに行くことではなく、家族でカフェやビーチにいくとかで喜びや幸せは得られるんだなーと感じました。」

いろいろなところに行って、いろいろな人と出会えば、必然的に自分とは違う価値観に出会えるし、そうすればいやでもそれを受け入れていかなければならない。「違う価値観を受け入れる広い心、あとは『笑うこと』そういうことを自然と感じられる環境がここにはあるのかも知れません。」そう語る川口さんは、今日も悪戦苦闘しながら、そして楽しみながら、小学校でオーストラリア人の子供達に英語で教えている。

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川崎美苗さん

「人は変われる」

日本語も話せなかった女子高生。

シドニー大学獣医学部は世界でもトップクラスの獣医学部として知られている。そこで川﨑さんは朝から晩までレクチャーと実習の毎日を過ごしている。
「学年で日本人は私だけで、普段はほとんど日本語を話さないので、今日はとても楽しみにしていました。」そう語る川﨑さんは、実はNIC入学当初、日本語もほとんど話せないシャイな学生だった。

高3の夏、川﨑さんはNICの夏期講習に参加した。ライティングの力は上級、しかし話せないということで先生がとても心配した。「ほかの人以上に迷惑をかけたと思いますが、いろいろサポートしてもらえて、『ここだったらやっていける』と思ったんです。授業はほとんど聞き取れなかったけれど、それでも2週間楽しいと思えたので。わからないからあきらめるんじゃなくて、悔しい、もっとやりたいと思えたから。」

中学の時から獣医になりたかった。「中学の時に職業体験で動物病院に行って以来、ずっと夢は変わっていなかったんです。」

しかし高校では成績はあまり芳しくなく、担任の先生からは獣医学部は無理だと言われ、他の学部を進められた。「でもあきらめきれない。そういうときに、NICを見つけたんです。」 高2の夏だった。家族は大賛成。逆に先生は大反対。

「NIC受験を決めてからは、何度も話し合いをして、三者面談もして、ようやく書類を書いてもらうことができました。反対されるのはわかっていたので、NIC合格後も最後まで先生には、『日本の大学が第一志望で、NICは第二志望』って言い続けてたんですけどね(笑)。」高校の方針でセンター試験も受験。二次試験も受験し、国立大学に合格したが、もともとの予定通り、NICに入学した。

NICではHI(中級)クラスからスタートした。「NICの1年間は、大変でしたけれど本当に楽しかったです。毎日いろいろな勉強を英語でやって、チュータリングセンターで毎日友達と夜遅くまで残って勉強していました。」

NICでの好成績が認められ、ファンデーションコース進学時には授業料の半額が免除になった。そして見事シドニー大学獣医学部に合格した。

シドニー大学では、大学の実習以外にも、学外での実習が何箇所か義務付けられている。「冬休みに日本に帰ったときには、ジャージー牛の放牧で有名な福井県の牧場で2ヶ月間、乳牛の世話をさせていただきました。えさやりから糞の片付け、子牛の哺乳等、何でもやりました。大学の単位には認められないのですが、授業で習ったhusbandryやhandlingの知識を応用した現場での実習は、すごく勉強になりました。」

とにかくやるしかない

NICそしてシドニーに来て、自分が変わったと思うことがたくさんあるという。「まず家族や周りの人がいかに自分の支えになっているのかがわかりました。

オーストラリアに来てからも何をやるにも自分で解決方法を見つけなければならないし、日本で自分がいかに楽をしていたのか、ということも分かりました。今は自分に力がついたのがはっきりわかるし、周りへの感謝の気持ちもこれまで以上に感じています。」

やりたいことが見つからない高校生へのメッセージがほしいとお願いすると、「とにかく何でもやってみるといいと思います。そのためには『大学に行くために勉強する』とか『言われたからやる』とか『やらされている』とかいう考えをまず捨てること。そして、やってみる前からできるかできないかを決めつけてしまったり、友達に合わせることもやめたほうがいいと思います。『できないだろう』とか『周りがこうだから』という考えでいるとせっかく目の前に来ているチャンスを逃しちゃいます。」

獣医学部は他の学部に比較しても学費は高い。「決して裕福な家ではないので、まずはちゃんと規定の年数で卒業すること、そしてちゃんと獣医になって親孝行したいです。」そう語る川﨑さんには、18歳の時のあの「Too shy」な面影は微塵も残っていなかった。

「ハダースフィールドに来てから、ずっと英語にはコンプレックスを感じていました。」
そのコンプレックスがなくなってきたのも、オーストラリアに来て3年経ってからだという。

「演劇文化理論の授業の時に、皆でアフリカ人が演じるシェイクスピアのビデオを見たのですが、その時に、日本人にしかできないものがあると思ったんです。そこからアジア人であることを生かそうと思いました。」
そして、わざとアジア人のようなアクセントをつけて話したりすることもするようにしたり、授業中も堂々とディスカッションで発言できるようになった。

最後にオーストラリア留学に興味をもつ読者へのメッセージをお願いすると。。。。。
「留学したい、NICに来たいと思ったのであれば、いいところまで来ているということだと思います(笑)。それは、自分が本当にやりたいことだとか、真剣にやりたいことを考え始めたということだと思います。皆さんにとって一番怖いことは「自分の本当の気持ちに向き合うこと」なのではないでしょうか。私は、NICの入試の面接で自分の気持ちを話した瞬間泣き出してしまいました。心から話す、というのは、真剣に努力するとか、心から楽しむということにもつながると思います。「面倒くさいことを考えることをやめない」それが一番大事だと思います。」

演劇やコンサートでつかわれるホール内で写真撮影をするために、警備員に使用許可を求めた。もちろんすべて英語で交渉したゆきさんの英語は、ヨークシャーなまりのネイティブそのものだった。

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