#3上村 裕章さん
BEC 行動・教育コンサルティング® エグゼクティブデイレクター
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ネバダ州立大学リノ校 心理学部卒(大学院進学課程)・人間発達&家庭学(副専攻)卒業University of Nevada Reno BA in Psychology (Graduate School Preparation Track), Human Development & Family Studies (Minor)
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カリフォルニア州パシフィック大学大学院 心理学部応用行動分析学科卒業University of the Pacific MA in Psychology (Applied Behavioral Analysis Track)
NIC10期生
神奈川県 逗子開成高校出身
上村 裕章さんを
特別な人に
していることは?
Keep Failing! = 失敗しまくること!
“不可能、無理という言葉は使わない。”
“難しそう。でもやってみよう!
できなかったらまた考えようの連続! ”
私は、ABA(応用行動分析学)の専門家として、乳幼児から大人まで年齢や症状、障害の有無を問わず、行動に困難や問題のある方々とそのご家族のためにABAの理論に基づいた総合行動教育サービスを提供しています。
主なクライアントは自閉症やAD/HDなどの発達障害また学習障害をもつ方が多く、行動セラピーやコンサルテーションをお仕事としています。
具体的には、コミュニケーションの取り方、友達との関わり方、歯の磨き方、学力向上の仕方など、基本的に人間が生きていくために必要なこと全てを療育していきます。また、「ペアレントトレーニング」といって親御さんにも、お子さんの問題行動やスキルアップをするためにどのようにアプローチするのかなどの指導も同時並行で行っています。私が代表を勤めているBECでは、これまでに国内外をいれて千名以上の方とこの12年間携わってきました。
また、スクールカウンセリングも行っていて、高校や大学で、どのように障害を持った学生たちと触れ合っていくのかを教えたり、「スクールシャドー」といってその児童・生徒達の傍にいて”今何をする時間なんだよ”とか先生の代わりに教えるお仕事もしています。また、企業での行動マネジメントや大学生にABAを教える「上村塾」に加え、施設やデイケアなどで支援員さんの教育にも力を入れています。
そもそも私は、2000年の夏になるまでABAという分野を全く知りませんでした。もともと医学を勉強するために、アメリカの大学に進学を希望していたのですが、学費の壁や、アメリカ国籍の学生が優先して医学部に進学できるということを知り、ネバダ州立大学リノ校で心理学を専攻することにしました。
当時、同期でNICを首席で卒業して、ネバダ州立大学リノ校で一緒に学んでいた女子学生とたまたま友達になり、大学のABAを通して学習障害を持った成人の方にトレーニングをするプログラムのインターンシップを紹介されたんです。それまで知らなかったのですが、ネバダ州立大学リノ校はABAの分野では全米的に有名で、ABAを研究するセンターやプログラムが豊富でした。
そのインターンへの参加が、僕のABAとの出会いです。そのインターンシップで、発達障害を持つ方などがABA療育で変わって行く姿を見て、人間の能力の無限さやABAの必要性を感じ、ABAを学ぶことを決意しました。
大学の卒業を迎えた時に、”もっと学問的にABAを研究して追求したい!”という気持ちが強く、心理学部応用行動分析学科の大学院進学を決めました。
お金に余裕もなかったので、奨学金が貰え、有給インターンシップがあり、ネバダ州リノからそんなに遠くない大学院を探していた時にカリフォルニア州にあるパシフィック大学大学院でABAを学んでいた日本人の方とたまたま出会い、彼を担当していた教授に私のことを紹介してくれました。”この大学院のプログラムが良いと思うなら君を入れてあげよう!”と複雑な手続きも無いまま入学を許可してくれました。私はNIC10期の中で一番お金を使わずに留学した学生だと思います。
大学では、寮長(R.A.) をすることで寮費と生活費が無償、学期ごと2千ドルの奨学金を大学からいただき、大学院では、学費の75%を奨学金で、25%をインターンシップのお給料で払っていました。
大学院を卒業して、サクラメントとロサンゼルスの自閉症児専門機関で就職をし、これからアメリカのABAの分野で本格的に働こうとしていた時に、日本の神戸市在住のとある家族から僕にメールが着ました。メールの内容としては、”4歳の自閉症の息子を見て欲しい”とのことでした。日本人と外国人のハーフなので、当時日本語と英語が話せ、ABAの知識と技術をしっかり持った方は日本におらず、自分の子供を任せられる人がいないとの内容でした。長い間ずっとオファーをいただいていたのですが、顔も分からなければ、日本に帰国しなければならないということもありオファーを断っていました。ある日、メールを見てみるとその自閉症の4歳の男の子の写真が添付されていました。その子の顔をみた数秒後に、”日本に帰ろう”と決めました。”なんとかしてあげたい。
どこまで改善できるかは全く分からないけれど、この子をなんとかしてあげたい”と思う一心でした。会社には辞表を提出し、帰国後日本の神戸市にBECを設立しました。このご家族との出会いがなければ、僕はまだ海外にいたと思います。月曜日から金曜日まで毎日1日4時間彼と一緒にいて、ABAを通して全てを教えました。今、彼を見て自閉症と気づく方はまずいないと思います。彼は、最近お父様の本国に行ってしまいましたが、BEC設立当時からの最初クライアントで12年間を共にしました。発達障害や学習障害は、小さい頃からの療育によって改善はできます。日本で初めてのクライアントである彼の障害を改善できたことは、ABAの道を極める者として僕に自信をくれました。
僕が、もともと医療や人を助ける道に興味を持ったのは、私の病気が原因です。私は1万人に1人の確率で発症する胆道閉鎖症を患っていて小さい頃から入退院の連続でした。小学3年生の時に脾臓塞栓術の手術を受け1年間絶食したこともありました。子どもさながらに、病室の隣のベッドが空いたり、親しい友達がいなくなるのを見て、”自分も死ぬんだろう”と思っていました。なのに死ななかったんです。身体中に針もたくさん刺さっているし、絶食もしないといけないし、モルヒネも打たないといけないし、これだけ辛いのに死なないということは、”死ぬ運命じゃ無いのかも!”と幼いながらに悟ってしまったんです。これは、人の痛みに気付く試練なんだと。五体満足で生まれなかったからこそ、今の僕があると思います。なぜ僕の病気が起こるのかは解明されていません。なぜ発達障害や学習障害が起こるのかも解明はされていません。
ABA分野の専門家の助けや環境が日本にないことを理由に、日本の障害を持つ子ども達が育つことができないというのは本当に不公平なことです。そういう子ども達の人生と大きく関わる仕事につけているということに、生きている意味を日々感じます。
将来的には、一刻も早くアジアのみならず世界にABAを普及させ、またしっかりとABAの知識を持った専門家を輩出していきたいと思っています。
「Keep on Dreaming 」まだ僕の夢は発展途上中なのです。