Interview

工藤 克訓さん

#6工藤 克訓さん

カリフォルニア州立大学ノースリッジ校コミュニケーション学部卒業
California State University – Northridge BA Communication Studies
長野県立岡谷南高校出身
NIC 第21期生

What makes you so special?

人と違うことをすることを
モットーに生きること。

努力と、がむしゃらチャレンジ精神だけは
誰にも負けません。

世界を代表する大企業からの転職

株式会社アイムとの出会いの始まりは、アイムの代表でもある、”ノリさん”こと佐藤典雅氏との出逢いが全てです。私がノースリッジ校にいた時、友達主催のバーベキューパーティーで彼に初めて会いました。ノリさんは、東京ガールズコレクションやキットソンのプロデューサーとして活躍した凄腕のビジネスマンであり、私は彼の考えや行動力に感銘を受けて、それ以後は月に何度か会う友達になりました。

日本に2013年に帰国して、ダイキン工業株式会社へ 海上用冷凍コンテナの営業として勤めて2年半が過ぎた頃、転勤を意識していた時に、日本で株式会社アイムの代表になっていたノリさんから、2号店のマネージャーとしての就職を依頼されました。前職と違い、小さい環境に身を置けば、営業以外のお仕事の流れも知れ、今後の自分に生かせると思ったし、何よりノリさんと働いてみたかったので創立2年目のベンチャー企業であるアイムに入社を決意しました。

工藤 克訓さん
アイム代表「ノリさん」と。© Katsunori Kudo 2016

自閉症の子供達を助ける仕事

アイムの語源は英語の”I AM...”からなんです。要するに、自閉症キッズが”私は”と胸を張って言えるようになってほしいという願いを込めてつけた社名です。ノリさんの長男(がっちゃんことガクトくん15歳)が3歳の時に自閉症と発覚して以来、ノリさんは自閉症研究の先端をいくカリフォルニア州、ロサンジェルスに9年間滞在しがっちゃんへ療育を受けさせていたそうです。

その後に、日本の自閉症の子供のためにアイム社を設立されました。株式会社アイムは、自閉症キッズが社会へ出ていけるよう経験や知識を積むためのデイサービスを提供しています。自閉症を障害と捉え療育していく他の機関とは違い、自閉症を個性と捉え才能を発見し磨くことで彼らの未来を切り開く手助けに従事してきました。なので、ご覧の通り子供達がありとあらゆるものを好きに使えるように色んなものをそろえています。これはVRといって、最先端のITシステム。これで立体空間の中で絵がかけたりできるんです。他にもピアノやペンキ、パソコン、工作道具等なんでも。

工藤 克訓さん
アイムの子供達と。© Katsunori Kudo 2016

NICの体験授業で人生が変わった。

中学3年生の時に、コロラド州デンバーに2週間ホームステイ体験をしました。その時に、雄大なロッキー山脈を見つめながら、”いつかまたアメリカに戻ってきてやる”と決意したんです。その後、高校3年生の時に、学校の英語研究所に貼られていたNICのポスターをたまたま見て体験授業を受けてみたんです。そこで出会った仲間のモチベーションの高さが半端なものでは無くて、感銘を受けてしまいました。みんなにNICに入学するか聞いてみたら、みんなすると言っていたので、”この素敵な仲間とだったらどんなに大変な勉強量でもしてもやれるかもしれない”と思い入学を決意しました。

NIC入学にあたり、新聞奨学生を始めました。朝2時半〜6時まで、午後は3時〜5時半まで新聞を配りました。「NICの課題が出来なくなったらすぐに新聞は辞める」とNICでの勉強は大切にしていたので10時間はかかると言われるNICの課題は欠かさずに行いました。この1年間を耐えた事で、目的であった渡米の後に努力を苦労と思わず授業に取り組む事が出来たためアメリカでの勉強はとても身につきました。そういう意味でNICは私にとって大切な時間となりました。

工藤 克訓さん
サンディエゴのホームステイ先のお母さんと© Katsunori Kudo 2016

テストが悪くても日々の努力を評価してくれる
アメリカの大学

私は、カリフォルニア州立クヤマカカレッジから、当時全米トップ8として知られていたカリフォルニア州立大学ノースリッジ校コミュニケーション学部に編入しました。トータル4年間の留学経験から得たものは、数知れずですが、一番大きかったことは、やはり大学の授業を通し膨大な量の知識と経験を積めたことです。

高校までは、勉強はやらされるものだと思い込んでいました。留学で初めて、自分からやりたいと思えた。そう変われたのは、やはりアメリカの対話型の授業と出逢えたことだと思います。自分の考えを持つ事、伝える事、また相手の考えを吸収する楽しさに気づきました。もう1つ留学で得たことは、世界中の人脈です。留学中に出会った人とは今でも繋がっています。プライベートで仲良くしているだけでは無く、アメリカで仲良くなった友人からさらに多くの人を紹介していただき、仕事でもつながりが多いです。ダイキンへ入社できた事、アイムへ転職できた事、経営塾で勉強ができている事など全てが人からの紹介で今につながっています。留学をしていなかったらここまで来られなかったと思います。人脈はとても大切です。

一方で、挫折もたくさん経験しました。自分の不得手なことは「テストで点を取る」こと。点が取れない理由は今でも全く分かりません。いくら勉強してテストに臨んでも、制限時間付きのテストでは欲しい点数が取れなかったんです。ノースリッジ校編入時に必要なGPAが4段階で3.4だったんですが、このGPAをキープするために私が必死でしたことは、テスト以外をオールAにすることでした。クヤマカカレッジ時代の60単位の授業は、全て録画してクラス後に復習しましたし、チューターにはエッセイやリサーチペーパのチェックに最低3回は行ったり、必要とあれば迷わず教授に質問しに行ったりなど。テストは出来ずとも、授業の内容をしっかり理解していることをひたすらアピールしました。こういう日々の努力を欠かさず自分のコンプレックスと向き合うことで、目標を達成できたんだと思います。

工藤 克訓さん
カルフォルニア州立大学ノースリッジ校の卒業式にて。© Katsunori Kudo 2016

さらなる転職で、夢を掴む。

実はもう次の転職先も決まっているのですが、今の目標はその転職先であるマースクラインAS(デンマークに本部を置く世界最大の海運規模を持つコングロマリット企業)で輸出入業務のプロフェッショナルになること。私の父は長野県で建築業を行っており、木材や家具は海外から輸入しています。私はその会社を助けたいと思っているため輸入という角度からそれが出来ないかと考えています。

私は両親のサポートがあり留学ができました。そして、留学先でたくさんの人との出会い、人生が大きく変わりました。留学をしていなかったら、前職のダイキンや今の会社で働く事は出来なかったと思います。将来、留学をさせてくれた家族のために、また支えてくれた多くの人のように、私も人のためになりたいと思っています。しかし、私自身まだまだ人に何か出来るほどの知識や経験は無く、出来ない事も周りの人の倍以上あります。いつか人の役に立てる人間になるため、今はもっと新しい事へ挑戦し、多くの人に会い、経験を積んでいく時期だと考えています。多くの人は安定を求めるため、変化を嫌います。しかし、私は不安定であっても新しい事へ挑戦したいと思う、そういう意味で人とは違う事を行う事がモットーであり、また自分らしさだと思っています。これかも、さらに上を目指していきますよ!

工藤 克訓さん
© Katsunori Kudo 2016